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MitsuiFudosan×MitsuiFudosanResidential 共に創る。都市・まち・くらし
01霞が関ビルディング40周年と都心超高層居住
霞が関ビルディング(1968年撮影) 空へ、高く。大地を、広く。―再開発で、都市に緑と潤いを。
霞が関ビルディング(1968年撮影)
霞が関ビルディング(1968年撮影) 空へ、高く。大地を、広く。―再開発で、都市に緑と潤いを。
霞が関ビルディング(1968年撮影)

霞が関ビルディング(1968年撮影)

都心に潤いのある風景を創る。

 山手線の車窓から、246号線を走る車から、当たり前のように眺められる都心の超高層ビル群。湾岸エリアに建ち並ぶタワーマンション──。東京では今や、超高層建築は珍しいものではなくなりました。
  遠くから眺めると、空へ伸びた美しい姿が大都会の先進性を印象づけ、近づけば足元の広場や公園が人々の憩いの場となる。こうした東京の超高層建築の原点となったのが、今から40年前の1968年(昭和43)、三井不動産によって建設された霞が関ビルディングです。
  1968年といえば、昭和30年代から始まった高度成長がそのピークを迎え、都市ヘの人口集中、公害問題など、経済成長によるひずみが叫ばれ始めていた時期。三井不動産では、「複雑化する都市問題の解決に寄与することが、不動産事業の社会的責務である」との強い使命感のもと、都心部の再開発と都市空間の有効活用に積極的に取り組みました。霞が関ビルディングは、その取り組みの成果。「大都市における人間性の回復」という高い理想を胸に、多くの困難を乗り越えて実現したプロジェクトが撒いた種は、その後40年の間に、東京のあちこちで、さらには日本のさまざまな都市で、美しく潤いのある風景として花開くことになったのです。

霞が関ビルディング(2001年撮影)
霞が関ビルディング(2001年撮影)
霞が関ビルディング(2001年撮影)
霞が関ビルディング(2001年撮影)

霞が関ビルディング(2001年撮影)

都市に緑を。人々に憩いを。―再開発で、都市に緑と潤いを。
リニューアル後の霞が関ビルディング低層部 完成予想CG 竣工当時の霞が関ビルディング低層部(1968年撮影)
リニューアル後の霞が関ビルディング低層部 完成予想CG 竣工当時の霞が関ビルディング低層部(1968年撮影)

リニューアル後の霞が関ビルディング低層部 完成予想CG

竣工当時の霞が関ビルディング低層部(1968年撮影)

都市に緑を。人々に憩いを。―再開発で、都市に緑と潤いを。
【霞が関ビルディング】40周年を迎え、大規模リニューアル行進中。

 1968年竣工の霞が関ビルディングは「サスティナブル=持続可能な建築」の考え方を先取り。三井不動産の都市開発コンセプト「経年優化」を体現するプロジェクトとして、40周年を迎えた現在も高い評価を受けています。31年目の1989年からリニューアルに着手し、1994年にはオフィスフロアのインテリジェント化、2001年には外壁塗装とロビー階の改修を完了し、現在は来年春の完成を目指し低層部飲食店舗街の増改築工事を実施中。より魅力的なレストラン街として皆様の前に再登場することでしょう。この間に培われた霞が関ビルディングリニューアルのノウハウは、三井不動産グループの共有財産として、三井の超高層ビル・マンションの将来の改修に、大きな力を発揮することでしょう。

空へ伸ばせば、地面が広がる。スペースを生かして緑と憩いを創造できる。

 霞が関ビルディング誕生のきっかけは、三井不動産の担当者の心に芽生えた「都市再開発の理想を追い求めたい」という欲求でした。再開発のために統合された約1万6,300m2に及ぶ都心の敷地を前に、採光がよくフロアが広々としたビル居住環境と、周囲に緑や広場のある都市環境を、この場所で実現したいという想いが湧き起こったのです。
当時の日本の建築基準法では、建物の高さは原則として31mに制限されていました。この高さでビルを建てると、建物は広大な敷地いっぱいに広がらざるを得ません。それでは周囲に空地が取れず、都市の過密や交通の混乱を軽減することはできないでしょう。理想の都市環境を実現するためには、まず高さ31mの常識を打破すべきではないか。そのためには、建築基準法の特例を認めてもらうことが必要でした。
当時は建築界においても従来の剛構造にかわって柔構造理論が研究されており、大型コンピュータの出現をはじめ材料、計測機器の進歩もあって、この新しい理論でのビル建設が可能になりました。三井不動産では、設計会社施工会社、都市計画や構造・建築の専門家を招聘し1963年(昭和38)に改正された新しい建築基準法にもとづいて、周囲に約1万m2のオープンスペースをもつ、高さ約147m・地上36階の建物を計画しました。これは道路用地などをのぞくと、約70%を超える空地率になります。
計画は、当時の建設省から周辺環境改善に寄与するものとして認められ、1964年(昭和39)8月、「東京都市計画霞ケ関三丁目特定街区」の指定を受けることができました。理想実現への最初の一歩が始まったのです。それからさらに5年、発端である1960年(昭和35)から足かけ8年の歳月を経て、霞が関ビルディングは完成します。
都心部に超高層ビルを建設し、足元のオープンスペースを緑の広場として人々に開放し、地域との共生を図る。これが三井不動産の霞が関ビルディング建設に関する基本的な考え方でした。高さを競うことではなく、超高層によってもたらされる美しく潤いのある都市環境、都市に生きる人々の豊かな暮らしを創造する。この考え方は、ふたつの大きな流れとなって、三井不動産・三井不動産レジデンシャルが手がけるその後の都市開発に積極的に生かされてゆきます。流れのひとつは、霞が関ビルディングを範とする既成市街地再開発。密集した市街地を、超高層化によって緑豊かな潤いのあるまちに変えていきます。そしてもうひとつは、芝浦、豊洲など、おもに都心湾岸エリアで行われている大規模開発です。湾岸エリアはその多くが近代以降の埋立によってできた新しい土地であり、おもに倉庫などに使われていて、いわば白紙の上に理想のまちを描くことができます。三井不動産・三井不動産レジデンシャルは、手を携えてこのふたつの大きな流れをさらに推し進め、人が心地よく暮らせる、よりよい都市環境を創造していきます。

三井不動産グループが手がけた主な都心再開発プロジェクト
三井不動産グループが手がけた主な都心再開発プロジェクト
三井不動産グループが手がけた主な都心再開発プロジェクト
三井不動産グループが手がけた主な都心再開発プロジェクト
三井不動産グループが手がけた主な都心再開発プロジェクト
大川端リバーシティ21航空写真 三田綱町パーク・マンション
大川端リバーシティ21航空写真 三田綱町パーク・マンション

大川端リバーシティ21航空写真(分譲済・一部賃貸)

三田綱町パーク・マンション(分譲済)

緑につつまれ、空で暮らす。―再開発で、都市に緑と潤いを。
東京パークタワー・プロムナード 芝浦アイランド・エアテラス
東京パークタワー・プロムナード 芝浦アイランド・エアテラス

東京パークタワー・プロムナード(分譲済)

芝浦アイランド・エアテラス(photo:(c) Forward Stroke)

緑につつまれ、空で暮らす。―再開発で、都市に緑と潤いを。
パークタワーグランスカイ建築現場 サンシティ 芝浦アイランド航空写真

パークタワーグランスカイ建築現場
(2008年撮影)

サンシティ(分譲済)

芝浦アイランド航空写真(分譲済・一部賃貸)

緑につつまれ、空で暮らす。―再開発で、都市に緑と潤いを。
都心超高層居住が可能にした新しいくらしのスタイル。

 1968年(昭和43)、霞が関ビルディングの建設によって培われたノウハウを生かした新しい超高層建築が東京に誕生します。港区・三田の三田綱町パーク・マンションです。建設にあたったのは、霞が関ビルディングを手がけた枝術陣たち。
  「住まいは何よりもまず人間性豊かな生活空間でなければなりません。それには、住まいの機能性を十分に備えるとともに、10年後、20年後の都市生活にふさわしい確固たる先見性が必要です」
  当時の社長、江戸英雄はこのように述べました。この言葉は三井不動産・三井不動産レジデンシャルのDNAとなって三田綱町パーク・マンションにつづく都心超高層マンションのすべてに受け継がれていきます。官民一体となって進めた大川端リバーシティ21(約9.0ha)や、島全体のリノベートで話題となった芝浦アイランド(約6.0ha)、アーバンドックパークシティ豊洲とアーバンドックららぽーと豊洲(約9.7ha)といった湾岸エリアの開発では、電柱の地下埋設、水辺のくらしを取り戻す堤防整備や護岸整備など、白紙から始めるメリットを最大限に生かした自由闊達なまちづくりを。東京パークタワー、青山パークタワーなど、都心の既成市街地再開発プロジェクトでは、超高層化によって生まれた足元空地に広場や公園のスペースをつくり、周辺環境に緑と開放感を。
  そして今、新しい市街地再開発プロジェクトとして注目を集めているのが、大崎副都心と東五反田地区の再開発です。三井不動産グループでは、すでにJR大崎駅前の、複合施設・ゲートシティ大崎プロジェクトに参画。JR大崎駅と五反田駅の間に広がる東五反田地区についても、約29haの広大なエリアを緑の連続帯に変えていく街づくり「GardenCities構想」にもとづいたプロジェクト、超高層マンションのザ・パークタワー東京サウスと業務棟2棟、賃貸住宅棟1棟からなるオーバルコート大崎の開発に参画し、この地域の都市再生に積極的にかかわってきました。
さらに現在は、地上44階建て・総戸数736戸の超高層分譲マンション、パークタワーグランスカイを含む複合開発、東京サザンガーデンにも参画。目黒川に沿った約3,400m2の親水広場や約180mの並木道が、周囲の風景に豊かな潤いを与えてくれることでしょう。40年前に霞が関ビルディングが掲げた「大都市における人間性の回復」という理念は、今までの、現在の、そして将来誕生するであろう三井不動産グループのまちづくり・すまいづくりにも、脈々と受け継がれていきます。

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